北方領土交渉が一筋縄ではいかない事情


■2000年9月 プーチン大統領が来日。森喜朗首相と首脳会談
プーチン大統領が「1956年の日ソ共同宣言は有効であると考える」と発言。

■2001年3月 森首相が訪ロ。プーチン大統領とイルクーツクで首脳会談
日ソ共同宣言(1956年)の有効性を確認。東京宣言(1993年)に基いて、平和条約締結を目指すことで合意(ステップ①、ステップ②について合意)。森首相が「歯舞・色丹と、国後・択捉について並行的に協議しましょう」と提案すると、プーチン大統領が「承っておく」と答えた。

■2009年2月 麻生太郎首相が訪ロ。メドベージェフ大統領とサハリンで首脳会談
「新たな、独創的で、型にはまらないアプローチ」をとることで合意。麻生首相が外相時代から口にしていた「面積等分論」(四島の面積を日ロで分ける方法。四島のうち最北で最大の択捉の一部と、国後・色丹・歯舞を日本が領有する案などが考えられる)について、5月に訪日したプーチン首相は記者会見で「面積等分論も検討対象になる」と答えた。
しかし、直後の国会答弁で麻生首相は北方領土について「ロシアに不法占拠されている」と述べたため、ロシアは反発し領土交渉は頓挫する。