金正恩に2年の軍隊経験説、成功体験重ねる33歳指導者の不気味


8月29日に、“日本列島越え”の弾道ミサイルを発射した金正恩だが、最高指導者の地位を継承した経緯には謎が多い。そうした金正恩が、朝鮮人民軍に身分を秘匿して入隊し、一兵卒として軍隊生活を送ったと指摘する専門家がいる。朝鮮総連出身で、今はフリーライターとして活躍する李策氏が取材した。

2005年の初めから2年間身分を隠して朝鮮人民軍に入隊か

故金正日総書記の三男である金正恩朝鮮労働党委員長が、どのような過程を経て父親から最高指導者の地位を継承したかについては謎が多い。

彼が父親の後継者に決まったのは2009年頃のこと。金正恩の誕生日は1984年1月8日とされているから、25歳の時ということになる。

金正恩は、スイスに留学して小中学校に通い、2000年に帰国して以降、金日成総合大学と金日成軍事総合大学で教育を受けたとされている。ただ、国家の指導者となるべく特別な経験を積み、実績を築くには十分な時間がなかったことは確かだ。

だが、金正恩の経歴の“空白部分”について、興味深い指摘がある。

韓国のNGO「北韓戦略情報センター」(NKSIS)の代表で、自身も脱北者である李潤傑(イ・ユンゴル)氏によれば、金正恩は2005年の初めから約2年間、朝鮮人民軍に身分を秘匿して入隊し、一兵卒として軍隊生活を送ったというのである。

李氏によると、スイス留学から帰国して以降、勉強が手につかなかった金正恩の将来を案じた母・コ・ヨンヒが、いずれ父親の権力を継いだ時の助けになればと「武者修行」に送り込むことを決断。コ・ヨンヒは2004年8月に病死するが、その遺志を受け継いだ党と軍の幹部らが、金正恩の極秘入隊を決行したというのだ。

最高権力者の息子として何不自由なく育ち、海外留学まで経験した「世間知らず」な金正恩は、軍隊生活になかなか馴染めず、他の兵士と同様に上官からの「シゴキ」や「イジメ」を経験した。それでも何とか順応し、2006年末に除隊したという。

筆者の知る限り、このようなエピソードを紹介しているのは李氏だけだが、事実なら、金正恩の思考や行動を理解する上で欠くべからざる情報と言えよう。

いずれにせよ、何の実績もなく最高指導者となった金正恩だったが、今となってはもう、そのように言うことはできない。

朝鮮人民軍が弾道ミサイルなどの新兵器を試射するたびに、金正恩は現場で指揮を取り、成功へと導いている。それも、米韓が金正恩に対する「斬首作戦」を進める状況下で、米軍の偵察衛星に自分の身をさらしながらだ。

つまり、一連のミサイル発射は、それ自体が米軍を向こうに回しての軍事作戦なのであり、少なくとも短期的な意味では、金正恩は「勝利」を重ねてしまっているのである。

こうした状況について、現役の自衛官に意見を求めたところ、「朝鮮人民軍の中で、金正恩の権威は高まらざるを得ないでしょう」との返答だった。

今の世の中、まだ33歳の若者がこのような経験を重ねて国家指導者として成長していくというケースは、他に類を見ないものと言える。

ミサイルが列島越えしても慣れて穏やかな日本

片や、北朝鮮と向き合うわれわれ日本の側はどうか。

金正恩が8月29日に強行した弾道ミサイルの「日本列島越え」の暴挙は、金正日も1998年にやったことだ。あの時に巻き起こった日本世論の猛反発ぶりと比べると、今回はずいぶんと穏やかであり、金正恩によってすっかり「慣らされてしまった」と言わざるを得ない。

安倍晋三首相は「これまでにない深刻かつ重大な脅威だ」と言って非難したが、「ではどうするのか」といった問いには答えを持ち合わせていないのである。

これが何を意味するかと言えば、経済制裁で国と国民が傷つくのを顧みず、決然と行動する金正恩に対し、「核武装の完成」という当面の目的を達するために必要とする“領域”を、徐々に譲り渡す形になってしまっているわけだ。

このような「成功体験」を重ねている金正恩は、果たしてどこに向かって突き進んでいくのか。

彼は今、決然と行動することこそが勝利のカギであると確信しているのではないか。筆者は、金正恩がこのままより大きく成長してしまうことに、非常に不穏なものを感じる。

将来の災いの芽を摘むためにも、日米韓はなるべく早い段階で、金正恩の意思と行動をくじいておかねばならない。弾道ミサイルがロフテッド軌道を取らず、通常の軌道でこちらへ飛んでくるのなら、むしろ迎撃し易くなったはずだ。

日米韓は、北朝鮮が遠からず発射するであろう弾道ミサイルの迎撃に全力を挙げ、「物事は必ずしも自分の思い通りにならない」ということを、金正恩に思い知らせるべきだ。

(李策)