【日韓国交50年】岸信介から安倍晋三まで…首相一族の「在日人脈」と「金脈」-連載(上)-


JR下関駅から車で5分。関門海峡に面した所に、室町から江戸時代にかけ日本を訪れた外交使節団「朝鮮通信使」の記念碑が建っている。2001年、地元政財界の有志が建立したもので、碑の裏には晋三の名も刻まれている。「朝鮮通信使上陸淹留之地」と揮ごうした韓国の金鐘泌(キム・ジョンピル)元首相は、岸や晋太郎と親交を結んでいた。

父親が晋太郎の支援者だったという在日2世のパチンコ店経営者は、「金元首相が下関に来たときには、私の父や地元の民団幹部が晋太郎さんといっしょに食事をしていた」と懐かしむ。

下関駅前のコリアンタウン「グリーンモール商店街」には、64年間営業を続ける食堂「アリラン」がある。晋三が常連で、店内には本人が「福」と墨書した色紙や、昭恵夫人といっしょに訪れた際の写真が飾られている。

在日1世の店主、鄭順さんは話す。

「(晋三は)奥さんとふらりとやってきて、ホルモン鍋を食べて行く。偉くなってからは、店がボディーガードであふれたこともあった。最近は忙しいからか姿を見せないけど、本当に気さくでいい人」

韓国情報機関と旧日本軍人脈

1993年までの中選挙区時代、岸は生家のあった山口市を含む旧山口2区を、晋太郎は郷里・油谷町(現長門市)や下関市などからなる旧山口1区を選挙区としていた。