ところが、またもや資金の問題が立ちはだかった。米軍と契約するには300万ドルの保証金を預託するとともに、数百万ドル分の装備類を自前で整えなければならない。当時の韓進にとって、このハードルは高かった。
そして、趙重勲はまたもや小佐野の支援を得て、この難題をクリアするのである。
「もちろん、小佐野氏にも思惑はありました。当時、小佐野氏は日本航空の個人筆頭株主でしたが、同社は日本の政治的事情からベトナムに物資や兵員を直接輸送することが許されなかった。そこで趙重勲氏と話をつけ、ベトナムに飛ぶ大韓航空に日航機をレンタルする形で特需をものにしたそうです」(前出・民団関係者)
それにしても、2人はいかにしてここまで密接な関係を結んだのか。小佐野が韓進のバス事業に協力した1961年は、国交正常化より4年も前のことだ。
いつ、どんなことがきっかけだったのか、具体的なことは詳らかでない。ただ、「米軍を介して知り合った」という趣旨のことは、当人たちも言っている。もとより、小佐野も朝鮮戦争特需で伸びた人物だ。朝鮮戦争とベトナム戦争という冷戦下での「熱戦」に突入する過程で、米軍がその橋頭堡たる日韓において手足のように動く政商同士を結びつけたとしても、何ら不思議ではない。(敬称略=つづく)
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