清原和博被告の覚醒剤はどこから来たのか? 対日シャブ密輸ルートの源流をたどる


1982年7月、日韓の関係当局はソウルにおいて、「麻薬及び覚せい剤(アンフェタミン類)問題に関する連絡会議」を初めて開催。この前後から韓国当局は覚せい剤密造拠点の摘発に力を入れ始め、コリアン・コネクションは一掃されていく。

そもそも、ある工程で猛烈な異臭が発生するなど、密造が露見しやすい覚せい剤を継続的に生産するには、権力の庇護もしくはお目こぼしが必要条件になる。

汚職で腐敗した権威主義体制下であるほどやり易くなるわけだが、当局の態度が一変すれば、根絶もされやすい。

台湾に移行

韓国ではまさにこの時期、朴正熙大統領の暗殺と全斗煥大統領の登場にともなうパワーシフトが起きていた。1979年10月に朴正熙が腹心の金載圭KCIA部長によって殺されると、全斗煥少将の率いていた軍の保安司令部が秘密警察の地位を占めるようになり、KCIAは事実上「粛清」の憂き目に遭うのだ。