前述したとおり、日本において「覚せい剤取締法」による規制が敷かれたのは1951年頃のことだ。それまで、覚せい剤は日本国内でおおっぴらに製造されていたのだから、何も技術を韓国へ持ち帰る必要はなかった。
それに朝鮮半島は1950年から53年まで朝鮮戦争のただ中にあり、その後も戦禍による荒廃から容易に抜け出せなかった。いくら食い詰めていても、失業した在日韓国人が望みを託すことのできる地ではなかったのである。
また、日韓が国交を結んだのは1965年のことだ。両国間でヒトとモノの往来が活発になるのもそれからである。覚せい剤の密輸は、そこに紛れる形で増大しているのだ。
そして、コリアン・コネクションの誕生を語る上では、日本の暴力団の役割を無視することはできない。