北方領土交渉が一筋縄ではいかない事情


■1991年4月 ゴルバチョフ大統領が来日。海部俊樹首相と首脳会談
「日ソ共同声明」を発表し、平和条約を結ぶうえで解決されるべき対象として、北方四島が領土問題の対象だと初めて明記される。国後・択捉について領土交渉の対象であることを両国が文書で認める(ステップ①)ことには成功したが、歯舞・色丹の引き渡しを確認する(ステップ②)ことについてはロシア側が拒否した。

■同年10月 中山太郎外相がモスクワを訪問
日本側が「四島の日本の主権が確認されれば、実際の返還時期、条件については柔軟に対応する」とロシア側に伝える。日本側は、従来から主張していた「四島一括返還」を段階的な返還でも構わないと主張を変える。

■1993年10月 エリツィン大統領が来日。細川護煕首相と首脳会談し「東京宣言」を発表。
ステップ①については合意、ステップ②はあいまいな結末に。