北方領土交渉が一筋縄ではいかない事情


■1955年6月からの日ソ事務方協議
ソ連側は「歯舞、色丹を日本側に渡してもいい」と発言。しかし、日本側は「国後、択捉の返還」と「歯舞、色丹の無条件返還」を主張。

■1956年10月 日ソ共同宣言で国交回復
歯舞群島及び色丹島を、平和条約が締結された後に、日本国に引き渡す(共同宣言第9項から抜粋)

■東西冷戦下での交渉
日本は、サンフランシスコ講和条約で放棄した「千島列島」に国後などの四島は含まれない、と主張。ソ連は条約締結時のあらゆる文書が、千島の中に南千島(国後、択捉)が含まれているとし、ソ連が条約署名国かどうかは関係がない、と主張し、交渉は膠着(こうちゃく)状態に。