清原和博被告の覚醒剤はどこから来たのか? 対日シャブ密輸ルートの源流をたどる


まず、韓国で34年間続いた夜間外出禁止令が解除されたのが、1982年1月。次に台湾で40年間に及んだ戒厳令が解かれたのは、1987年7月である。そして中国政府は、学生たちの民主化運動が高まった1989年5月、北京市の一部に戒厳令を布告。6月の天安門事件を武力鎮圧し、翌年1月に戒厳令を解除した。

日本への密輸ルートはいずれも、体制の権威主義性格が強い時期に開かれ、それが緩むとともに、次の国へと移っているのだ。覚せい剤が、日本の軍国主義の下で国策的に利用されていた経緯を考えると、無視できない符合である。

覚せい剤の供給源は、1969年頃までは国内での密造が中心だったが、それ以後は海外からの密輸に切り替わる。当初、最大の供給源となったのは韓国で、年間の水際押収量の70~80%を占めていた。

大阪の「技術者」

それにも関わらず、韓国社会では長らく、覚せい剤の問題に人々の関心が向くことはなかった。なぜか。